この記事は、私が短い人生の中で悩んできた「決めつけること」や「押し付けること」が果たして本当に必要なのかについて考えてみた内容です。
最近、私は世の中が「決めつけること」によってどれほどの害を受けているかを再認識しました。
人々の性格や性質、病気の診断、さらには固有名詞まで、決めつけから解放されることで、人生がずっと楽になるのではないかと思うようになりました。
要するに、自分や他人にレッテルを貼ったりラベルを貼ったりすることは、視野を狭め、スピリチュアルで言う「思い込み」や「ブロック」を引き起こす可能性があります。それはまさに、ジャッジメント(判断)です。
皆さんは、自分や他人に対してどれだけの割合で決めつけ、どれだけの割合でそれを緩めていますか?
決めつけること、押し付けることとは?
まず、今回の記事で取り上げる「決めつけ」と「押し付け」の定義について話していきます。これは、当然のことですが、明らかに理解されているでしょう。
エックハルト・トール氏がYouTubeで述べていた「決めつけ」と「押し付け」の非常にわかりやすい例があります。
まず、決めつけや押し付けのわかりやすい例です。
1. 彼女は嘘つきである=決めつけ(ジャッジメント)
2. 彼女はよく嘘をつく=決めつけではない(ノージャッジ)
本当にわかりやすいですね。ヨーダらしいです。
「1」の場合、「嘘つきだ。」と判断すると、その後に、「嘘つきだから信用してはいけない。」や「信頼できない。」「ダメだ。」など、エゴの価値基準が続きます。
一方、「2」の場合、「よく嘘をつく。」は単に彼女(彼)の性格や行動を述べているだけであり、「ダメ」とか「良い」といった判断が後に続く可能性は非常に薄いです。
決めつけや押し付けの視点についてもう少し深く掘り下げると、自分の視点と他者の視点の違いが明らかになります。
「1」の場合、「嘘つきだ。」は自分の基準に基づいており、他の尺度を無視する傾向があります。しかし、自分の基準がどこから来たのかを忘れることが問題です。
一方、「2」の場合、「よく嘘をつく。」は単なる状態を示しており、自分の基準よりも観察の結果が強調されます。そして、そこで終わりですね。
これは「嘘」に限らず、あらゆる文脈で言えることだと思います。
例えば、「彼はうつ病だ。」と「彼は感情の起伏が激しい。」、「彼女は認知症だ。」と「彼女は物事をよく忘れる。」、「彼は常識的な人間である。」と「彼は決まり事をよく守る。」などです。
世の中は微妙なバランスであり、どの視点で自分や世界を捉えるかによって大きく変わると思います。
決めつける人の心理やイメージの押し付けはなぜ生まれるの?
ここからは、私が想像できる範囲で、決めつけや押し付けを生み出す要因を共有していきます。
1. 親のしつけや教育
子どもが親から学ぶことは想像以上に多いと感じます。相手や自分自身の持つ価値観や価値判断基準、イメージの押し付けは、自分が育った環境に根ざしていることが多いようです。
2. コミュニティや環境、経験
現在所属しているコミュニティや環境、そして過去の経験も、決めつけや押し付けを生み出す要因となります。ニュースやメディアの影響も大きく、流行り廃りに左右されることがあります。
3. 前世やカルマ
多次元世界を信じる人々にとっては、前世や過去世での経験が現在の価値観や感情に影響を与える可能性があります。古くからの価値観や信念が、現在の行動や判断に影響を及ぼすことが考えられます。
4. 魂
魂や内面の深層に根ざした信念や固定観念も、決めつけや押し付けの要因となり得ます。これらの信念は、時に執着的であり、なかなか変えることが難しいかもしれません。
もちろん、これらの要因は個人によって異なりますし、信じるかどうかも個々の自由です。
決めつけや押し付けの根本要因は以下のようにまとめられます。
1. 親や遺伝的な要因
2. 自分でつくった環境や経験
3. 前世や過去世
4. 魂
個人的な経験から言いますと、親や環境による影響は比較的明確で、意識的にアプローチできる部分も多いと感じます。一方で、前世や魂に関する要因は、その存在自体が疑われることもあり、無意識的な領域へのアプローチが主になるように思います。
皆さんのジャッジメントを形成する要因は何でしょうか?
決めつけや押し付けの何が良くて何がダメなのか?
決めつけや押し付けをなくすことは難しいという見解をとっています。なぜなら、決めつけをなくそうとする試みは、また別の決めつけを生み出す可能性があり、それはエゴの原理と同じです。
ただし、私たちは非常に優れたボディ、マインド、スピリットを持っているため、「認識する」ことは可能です。ここでは、決めつけのメリットとデメリットを見ていきましょう。
決めつけることのメリット
決めつけや価値判断を行うことのメリットは、自己認識の契機となる点です。これは、自分がどのような立ち位置にいるのか、なぜ特定の考え方や性質を持っているのかを理解するのに役立ちます。
決めつけや押し付け自体は悪いことではありませんが、他者にそれを強要する傾向がある場合(共感を得ないと不安になる傾向がある)、それがエゴと結びつくと、善悪や正しさ、倫理観、道徳観などが強調され、少し寂しい世界になりがちです。
決めつけることのデメリット
決めつけや押し付けのデメリットは、捉え方によって異なりますが、視野が極端に狭くなりがちであり、価値観が固定化し、多様性が減少する傾向があります。また、決めつけによって、自分や他者に対する一義的な見方が生まれ、学びや成長の機会が制限される可能性があります。
簡潔に言えば、決めつけや押し付けによって、ロボットのようになりがちであり、気づきや学びが制限される危険性があります。
決めつけも押し付けも根本はエゴにあるかも
決めつけや押し付けの根源は、私たちの特有のエゴにあると私は考えます。
エゴと決めつけの関係
以前にも述べた通り、エゴそのものには良し悪しはありません。
ただし、エゴの厄介な点は、果てしないところにあるということです。決めつけや押し付けは、性質は少し異なると感じますが、結局、指標や完全に正しい答えが存在しないことを理解することが、より楽に生きるための鍵だと感じます(それは幻想だという理解があるということです)。
エゴは、比較競争や防衛本能といった性質がありますが、決めつけや押し付けは、それを超えて攻撃的な側面を示すことがあります。
この理解を持っているだけで、他者や自分自身に対して過度な決めつけや押し付けをする傾向から離れ、より俯瞰的な視点で物事を見ることができるかもしれません。
まとめ:決めつけや押し付けもこの世界を面白くするツールです
今回一番伝えたかったことは、私たちの生活のほとんどが決めつけや押し付けによって形作られているのではないか、という純粋な疑問です。
「決めつけはダメ」「押し付けはよくない」という考えさえも、実はジャッジメントなのですが(笑)、ラベルやレッテルを貼り付けてしまうと、人生や世界の多様性が失われる可能性が高まります。大局的に見れば、正しいと思われることでさえ、多角的に考える必要があります。
もし自分や他人に決めつけや押し付けを見出したら、それがどこから来るのかを分析して観察し、エックハルト・トールが言うように、「世界はクレイジーかもしれない」という面白い発見があるかもしれません。
皆さんは、どんな尺度や価値判断基準を持っていますか?そして、それをどれだけ好んでいますか?自分自身に問いかけてみると、新たな発見があるかもしれません。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。